モーヴの案内により、神竜軍はイルシオン王国から私とリュールの旅立ちの土地でもあるリトスへと向かっていた。
船上で一時休戦を約束したモーヴとマロン。
モーヴは包み隠すことなく、自分が知り得ることを私たちに話してくれた。
千年前に海中に封印された邪竜の地、グラドロンを復活させるためにリトスを目指す計画をしていたこと。
ソンブルの望みについて。
孤独の千年を生きるヴェイルのこと。
四狗がセピアを除いて元々は敬虔な邪竜信徒であること。
ソンブルの望みはグリの言っていたことと相違無く、そしてモーヴもまた詳しくは知らないとのことだった。
異界への侵攻という言葉に誰もが目を丸くさせたが、私を見るとそれもすぐに険しい表情へと変わっていった。
それは、グリにそのことを尋ねた時の私のようで。
曇る表情に私は目を伏せた。
紡ぎの指輪 第5話
到着したリトスの地は旅だった時とは打って変わり、すっかり荒れ果ててしまっていた。
豊かだった緑の地は枯れつつあり、邪悪な気がどういったものなのかを誰もが痛感した。
ヴァンドレの知識を頼りに一行はリトスの神竜王城を目指したが、
城に近付くにつれて痛ましさを増す景色に表情も足取りも険しくなっていく。
ようやく辿り着いた城門をくぐり、あの日背にした廊下を駆け抜ける。
隣で走るリュールと目が合うと、彼は一瞬だけ悲しげな瞳を揺らし、それから行きましょうと表情を引き締めて頷いてみせた。
「ここですか、ソンブル!」
リトスの神竜王城の最奥部…玉座の間。
かつてルミエルが座っていたのであろう玉座の前にはセピアとグリとヴェイル。
そして、先行していたモーヴとマロンが対峙するように三人と向かい合っていた。
禍々しい姿に変わり果てたヴェイルが、彼女を見て絶句していたリュールに話しかける。
その言動や仕草、纏っていた気も全て。
もう以前の……本当のヴェイルの姿はどこにも無くなっていた。
「な、何あれ……術をかけたら、こうなるの?……ヴェイル様、もう元に戻らないの?」
震えた声。
それはリュールでもモーヴでもなく……マロンからだった。
魔法具と自分の術により、私たちが会いたかった、救いたかったヴェイルの人格は死んだのだと告げるセピア。
その嬉しそうな表情と物言いにマロンの肩がぴくりと動いた。
彼女は一度目を伏せて、それから覚悟を決めたようにセピアを見る。
体を震わせながら、必死な声で彼女は説いた。
船上でモーヴから聞いたヴェイルの話。
セピアと四狗が大好きだったと。
ぽろっと彼女の瞳から落ちた雫が夕日に当てられてキラリと光る。
「……でも、やっぱり、これ以上はついて行けない!
……誰に褒められなくたって、ボクはボクの正しいと思ったことをする!」
それはマロンにとって、大事に想っていたセピアへの初めての反抗だったのかもしれない。
動揺した様子のセピアの隙を突いたマロンが斧を構えてヴェイルに向かって走り出す。
「こんな魔法具、ボクが粉々に壊してやる!…はああああ!!!!!!」
「ダメよ!やめなさい!!」
床を蹴り上げ、力一杯に振り下ろされたマロンの斧がヴェイルの魔法具と衝突する。
鈍い金属音が大きく響き、魔法具に纏わり付いた力に弾かれるようにマロンの体と斧が後ろへと落ちていくのが皆の双眸に焼き付くように映り込む。
「マロン!!!」
衝撃に顔を歪ませたマロンはモーヴの必死な声にはっと目の前のヴェイルを見る。
「ふふ…」
「………あ」
斧を振り上げる前とひとつも表情は変わらない。
にんまりと楽しそうに口元を緩ませたヴェイルは無駄ですよと彼女を見下ろした。
「そんな……ボク、何もしてあげられないの?」
ぼろぼろと堰を切ったように涙を流すマロンに、動くことができなかった私たちの胸が締め付けられるように痛む。
モーヴがマロンに歩み寄ろうとするが、それよりも早くセピアが動いた。
「だから、やめなさいと言ったのに」
呆れたように、宥めるように。
床に座り込んだままのマロンを背後から包み込む。
……ように見えたが、キラリと光る物を見つけた私は血相を変えて叫んだ。
「「マロン!!!」」
声が重なった。
私と同じようにマロンに向かって手を伸ばし、駆け出そうとしている人物を視界の端に見つけた時には、光は彼女の中へと沈んでいった。
「……貴方が悪いのよ。私の言うことを聞かないから」
「セピ…ア……?」
ごぽっと小さな口から赤い雫が零れ落ちる。
何が起こったのか理解できていないマロンは痛みに悲鳴を上げることもなく、ただまっすぐ空虚を見つめていた。
彼女の心臓から引き抜かれたそれは再び光に当てられ姿を現す。
赤黒く染まった短剣は重力に従い傾くマロンの体のすぐ傍に放られ、カランと乾いた音を立てた。
もう興味は無いというように背を向けたセピアは玉座前まで再び床を鳴らす。
入れ替わるように駆け寄った私とモーヴが力無く床に崩れ落ちていくマロンの体を抱き留めた。
「マロン!!!!」
「しっかりして!!!」
モーヴがマロンの手を両手で強く握り締め、私は急いで癒やしの魔法を唱える。
しかし、杖は現実を突きつける。
どんなに杖をかざしても消えていかない傷。床に溢れていく血液。
消えてしまいそうな命に泣きそうになる私にマロンは小さく笑った。
「……あり、がとう。……でも、もうダメ…なの……わか……る」
「………っ」
こぽっとまたマロンの口から赤い血液が溢れると、彼女ももうすぐかと悟ったように目を閉じ、モーヴの名を呼んだ。
彼女はヴェイルを助けられなかったことの謝罪と自分の願いを震える口をなんとか動かして彼に託そうとする。
「も、ーヴ………私の分も、生きてね」
最後にまだ幼さの残る顔に相応しい笑みを浮かべると、彼女は眠るように彼の腕にもたれ…息を引き取った。
「マロン!…マロンっ!!!目を開けてくれ、マロン!!!」
「………っ」
目頭が熱い。喉が焼けるように痛い。
多くの人がこの場にいるにも関わらず、誰もが彼女の最期に惹かれ、憂い、静寂を保っていた。
だからこそ、許せなかった。
「あら、死んじゃったの?悲しいわ」
彼女の仲間であったはずの……家族と呼んでいたはずのセピアの飄々とした声。
それは静寂音とともに四狗の絆も切り裂いた。
「黙れ」
モーヴの低い声とその手に持たれた槍の切っ先がセピアに向けられる。
はっきりと袂は分かたれた。
赤く燃えるその槍は彼の怒りを体現しているかのようだった。
その光景ににんまりと目を細めたヴェイルがもういいでしょうかと怪しく笑う。
マロンの最期をまるで茶番であったかのように扱う彼女にモーヴは悲しそうに眉を歪め、リュールは怒りの声を上げた。
「ヴェイル!!!マロンはあなたを想って…っ」
「ねえ、お兄様。もう一人の私はどうだったか知りませんが、私は生き残りのきょうだいがいたら、殺したかったんです」
興味は無いとリュールの声を遮り、彼に歩み寄りながらヴェイルは魔道書を取り出した。
ぺらぺらと暇を持て余すように彼女の指は頁をめくる。
「同じ血を継ぐ存在など不要なのですよ。
……私こそがお父様の唯一無二の御子であればいい。
……だから、さっさと死んでください、お兄様!!!」
バチンとリュールに向かって鋭い雷が突き刺すように落ちてくる。
彼女を警戒していたリュールはすぐに後ろに退いて躱すが、すぐに次の魔法が彼に襲いかかる。
戦いの火蓋が切って落とされると、どこに潜んでいたのか何体もの異形兵が姿を現し、神竜軍と彼らとの交戦が始まった。
「リュール!!!」
「私は、大丈夫です!!!それよりも、マロンをお願いします!!!」
この人は…。
自分が辛い状況でありながらも他者への優しさを最優先にする。
隣にいたモーヴも頼むと私に一礼すると、怒りを纏った彼は勢いよくセピアに向かっていった。
セピアの斧とモーヴの槍がぶつかり合う音を背に受けながら、私は目の前で横たわるマロンの体を抱き起こす。
重装歩兵の鎧は彼女のサイズでもかなり重く、抱きかかえて安全な場所へ運ぶには私一人では無理そうだ。
応援を呼ぼうと辺りを見回していると、私の体を影が覆った。
「……重いだろ。手ぇ貸すぜ?」
よいしょと私と向かい合うようにマロンの前でしゃがみ込んだのは…四狗のひとりであるグリ。
緊張が走るとともに仲間たちの逃げろといういくつもの必死な声が私の背中に飛び込んでくる。
この前のイルシオン城で攫われた時とは違い、今は彼の仲間の目もある。
彼が敵としてこの空間に立っていると思うと、嫌な汗がふつふつと滲み始める。
「安心しな。……こいつが踏み荒らされるのは俺もごめんだ」
固まる私を解かすように一瞬だけ口元を緩めると、グリはマロンの体をゆっくりと持ち上げた。
「……こいつは俺が運ぶ。……あんたはその斧を持ってきてくれるか?」
床に残されたマロンの斧を見ながらそう言う彼に私は静かに頷くと、後ろで臨戦態勢に入っている仲間たちに大丈夫だと合図を送る。
マロンの大事な斧を拾い上げた私はその重さを両手で感じながら、背を向けて歩き出したグリを追いかけた。
「……悪いな。重かっただろ」
両軍から距離をとった柱にマロンの体をもたれさせたグリは、私から彼女の斧を受け取ると、眠る彼女の隣に静かに置いた。
「……まったく、こいつのどこにそんな力があったんだかな」
祈るように少しだけ目を伏せて、それからグリはゆっくりと体を私に向けた。
喧騒に取り囲まれているはずなのに、何故だかこの瞬間だけはこの空間に私とグリの二人だけしかいないように感じられた。
赤い瞳は私を映して揺れる。
私に何か言おうとグリが口を薄く開くが…。
「う、あああああっ!!!」
突然、上がる甲高い叫び声に私たちは一気に現実へと引き戻された。
この場にいる全員が何事かと声の先に視線を向かわせる。
そこには…さきほどまでとは様子の違うヴェイルを大事そうに抱き締めるリュールがいた。
彼女の頭に鎮座する魔法具にヒビが入っていることがわかると、
マロンの命懸けの勇姿を見ていた者たちからは称賛の声が上がった。
「………ありがとう…っ。……あなたは本当にすごいね……っ」
「………っ」
目の前で眠るマロンの頭を私はそっと撫でると、隣に立つグリの握り込んだ手が堪えるように震えるのが横目に見えた。
洗脳の解けたヴェイルは自身が着けていた英雄王の指輪を不思議そうに外し、リュールの指に嵌め直す。
彼らが笑顔で見合ったのも束の間、二人の背後に威圧感のある声が響いた。
「そうはさせぬぞ」
ずしんと床を叩きつけるように降り立った何かが大きく城を揺らした。
地響きとともに姿を現したのは黒く禍々しい竜。
邪竜…ソンブル。
その姿を見ただけでデスタン大教会での恐ろしい光景が蘇る。
目の前でイルシオン王を喰らい、その血液を口端から滴らせ……。
ぞくりと悪寒が私の体を巡り…凍り付かせる。
「パパ!!!」
リュールを庇うように自分の前に歩み出たヴェイルにソンブルは睨みをきかす。
親子の会話とは思えない殺伐としたやりとりの末、ソンブルのやり方を拒んだヴェイルに容赦なく彼はその口を大きく開けた。
「ヴェイル!!!リュール…っ!!!!」
赤く光る閃光は今にも彼らに放たれようとしている。
早く行かなければ。
手遅れになってしまう前に二人のもとに行かなければ。
彼らのもとに駆け出そうとした私の手首をグリが掴む。
「放して!!!」
力任せにグリの手を振りほどこうとするが、びくともしない。
それどころか絶対に行かせまいと彼は握り込む力をさらに強めた。
「お願…」
「頼むから行くな…っ!!!」
「………!!」
大きく首を振り、今にも泣きそうな…悲痛な顔で訴える彼に私の目は奪われる。
「ヴェイル!」
リュールの声が響いたのと同時に放たれた邪竜のブレスが勢いよく二人を包み込んでいく。
一瞬だった。
高度な熱により立ち上る煙。焼け焦げた匂いが城内に充満する。
「……あ」
煙と砂埃の中、二人の姿を再び見つけた私は血の気が引いていくのを感じた。
身を挺してヴェイルを守り切ったリュールの体が崩れ落ちていくのが立ち尽くした私の目にゆっくりと映る。
「りゅ、……る?」
滲んでいく景色の中、ヴェイルの腕の中でリュールが私に向かって微笑む。
震える彼の口元が「だいじょうぶ」と動いたのを最後に、彼の腕はだらりと床に崩れた。
時が止まったかのような静けさが流れる。
ごとり。
何かが落ちた音が時をまた進めていく。
「……竜石が、なん…で?」
ヴェイルのポケットから零れるように床に落ちた真っ赤な石。
それはまるでリュールの命の終わりを告げるように。
放心状態の彼女の目の前で音を立てて砕け散っていった。
今…お前を庇って死んだ男はずっとお前が探していた兄だ。
嘲笑うようにソンブルに告げられたヴェイルの大きな瞳からはぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
突然のリュールの死に、誰もが愕然と立ち尽くしたまま動けずにいた。
十二の指輪の力が解放されるのを。
無限の力を得たソンブルが天井を破壊し飛び立っていく姿を。
邪竜の地、グラドロンの封印を解いてしまったのを。
私たちはただ……見ていることしかできなかった。