少し前まではまだ賑わいを見せていたこの城も、今じゃ俺を残してもぬけの殻。
……ああ、その辺の部屋でモーヴとマロンが寝ていたか。
静寂音が鳴り響いていた城内にようやく待ちかねた来訪者の足音が入り込んできた。
俺の仕事はソンブル様たちがリトスへ発たれるまでの時間稼ぎと神竜が実は邪竜の御子ではないかというセピアの予想の見定めだ。

「……おーおー。俺一人に対してすごい数だな……」

彼らはソンブル様たちと一戦を交える覚悟だったのだろう。
あまりの数に、これから自分がどう嬲り、嬲られるのかを想像した体がぞくぞくと震え上がる。



「………いた」



そしていつも通り目を配った先に辿り着く青いローブ。
ひとりで切り抜けなければならない状況でもこの役割を買って出たのはこの魔道士と接触するためだ。
息を吐いて、指に嵌めた慈愛の王女の指輪を握り締めると、俺はざわつく神竜たちのいる広間へと足を踏み入れた。





紡ぎの指輪 第4話 Side:G





真っ暗な城内で神竜軍を弄ぶのにこの指輪はうってつけだった。
俺の姿を見つけて襲いかかってくる者には容赦なく俺も力をぶつけた。
石造りの城内のあちこちで悲鳴や焦った声が上がってはキンキンと響いていく。


………さて、どうするか。


身を寄せ合い前進する神竜軍を掻い潜ってどうにか目的の彼女の近くまで来ることはできたが、
彼女のいる組には遠距離攻撃を得意とする者が多そうだ。
……少し強引にいかせてもらうしかねえな。
魔道書をしっかりと構え直し、俺は口を開いた。





「……さてと、そろそろかくれんぼにも飽きてきたから場所を変えるか」





俺の声が城内に存分に響き渡ると、神竜軍は一斉に声の出所を探るためにびくりと動きを止める。
その一瞬の隙で俺には十分だった。



!!!」
「………しま……っ!?」



いち早く気付いた別の魔道士の手がに伸ばされる。
そうはさせるかと俺は左腕で捕らえた彼女の体を勢いよく引いて、数歩後ろに飛んで距離を取る。

「……悪いな」

腕の中でもがくには申し訳ないがロックの魔法をかけさせてもらった。
体の自由を奪われた彼女は抵抗できず、ただ俺の腕の中で直立するだけ。
自軍を見つめて泣きそうな彼女の表情を横目で見ていると、俺の頬を何かが掠めていった。



「………放せ」



ぴりっとした痛みとともに薄らと鮮血が溢れる。
飛んできた方向を辿ると、シーフと思われる男女がこちらをじっと見て次のナイフを構えていた。
……夜目の利くやつがいるのは面倒だな。
俺はとっとと行動に移すことにした。



「……いいねぇ。……けど、そう急ぐなよ」
「みんな逃げて!!!」



指輪と右手に持った風の魔道書に魔力を注いでいると、腕の中のが必死な声で叫んだ。
……悪いな。少し驚かすだけだから…勘弁してくれよ。
できるだけ力を調整し、魔法を発動させる。
城内に暴風が吹き荒れ、みしみしと音を立てながら城壁に傷を付けていく。
神竜軍は風圧に耐えるのに必死。
がいることもあり、彼らの動きは完全に止まったも同然だった。



「……返して欲しければ俺のところまで来いよ、……神竜様?」



目が合った神竜に俺はにやりとした笑みを浮かべると、転移魔法を発動させた。










「………着いたぜ」

イルシオン城の最奥部にあたる玉座の間。
ここならしばらくはとの時間が取れるだろう。
広い空間は完全にイルシオンの冷たい空気により冷え切っていて、神竜たちの到着を待つには少し肌寒かった。

「……悪いが、時間稼ぎに付き合ってもらうぜ?」

あれだけの大軍をひとりで相手するのはさすがに骨が折れた。
を立たせたままでいるのも可哀想なので、俺は彼女を左腕に抱き込んだままゆっくりと床に腰を下ろした。


……体…冷たいな。


イルシオンの環境に慣れている俺とは違い、はそうでもなさそう……だな。
小さく溜息を吐くと、決意を固めて俺は右手に持っていた魔道書を床に置く。
そして、空いた右腕をもう片方の腕と同じようにの体へと回し、抱き込んだ。
冷たかった体に少しずつ俺の体温が移っていく。
初めて触れた彼女の体の柔らかさに思わず俺は目を閉じた。



……叶うのなら……ずっとこうしていたい………。



浮かぶ願いに俺は改めて自分に芽生えた気持ちが本物であったと確信した。





「………どうして殺さないんですか?」





俺の腕の中から発せられたの声が静かな空間に響いていく。
ずっと静かに抱き締めていてもよかったが、
何かしら言葉を交わしたかったがための接触でもあったのだからと俺は会話に乗ることにした。

「……さっき言っただろ?あんたは今、時間稼ぎのための人質としてここにいるんだよ。……殺したら人質の意味が無くなるだろうが」

…というか、俺はお前を殺す気はさらさらないんだけどな。
………違うか。

正しくは……殺せない、だな。

心の中で苦笑いをしていると、が首を横にふるふると振った。



「そうじゃない。私の存在はあなたたちにとって邪魔なはず。
……どうして影の原野でも、今も……私を殺さないんですか?」



ああ、そういうことか。
心の中での苦笑いが表にも現れ、俺の口角は柔らかく上がる。

「………なんでだろうな」
「………?」

影の原野から俺もずっとひとりで葛藤していた。
モーヴに肩を叩かれてからも本当にこれで良いのかと何度も悩んだ。

「……なあ、異世界の救世主様。おとぎ話が本当なら、世界を闇に堕とす俺たちはきっと抗えないだろう」

まっすぐに俺を映す瞳。
初めて会った時や影の原野で対峙した時と同じように強さと優しさを視線から感じる。
……この瞳を見ていると思わず想いを全部ぶちまけそうになっちまう。

「あんたが救世主だということはあいつらもソンブル様たちも知らない。……さっきの質問で言えるのはここまでだ」

出そうになった言葉を慌てて引っ込めて俺は話を切り上げる。
俺たちは敵同士。伝えたところで良くない方向に行くのは目に見えている……からな。
複雑そうな顔しているんだろうな。
黙ってしまったに、俺もぼうっとあての無い視線の散歩を始めた。
が、数分して彼女の声はまた部屋に響いた。



「……ソンブルは指輪を集めてどうするんですか?」
「ああ?」



率直な内容に思わず俺はいつもの口調で聞き返してしまった。
彼女の表情が一瞬強張るのが横目に見えて、俺はしまったと苦く顔を歪めた。
とりあえず記憶を辿ってみるが、俺はセピアと自分の快楽のために動いていただけで、
ソンブル様の思惑についてなど、端的に聞かされた目的以外微塵も知らなかった。
ソンブル様の復活を手伝ったのもセピアとヴェイル様が望んだからだ。

「………最終的な目的は異界への侵攻だ。
この大陸だけじゃなく異界全てを手中に収めて支配することだと聞いている。
詳しくは俺も知らねえよ……」

素直にそう答えると、は驚いたように目を丸くさせた。
やがて、その表情は暗く考え込むようなものに変わっていく。
……ま、当然そんな顔するよな。
俺は異界って言葉だけで現実味が無かったが、……の存在で信じざるを得なくなるよな。
ソンブル様の望みが叶ったら、今まで彼女が渡り歩いてきた世界も……。
彼女の感傷的な表情に俺の腕に少し力が入る。

「あなたもソンブルと異界へ行くんですか?」
「……あんたたち次第って言いたいところだが、俺もソンブル様の駒のひとつでしかない。………この大陸と消えるのがオチだろうな」
「……あなたはそれで良いんですか?」

復活したソンブル様を見た時に、もう自分の終わりは見えていたような気がしていた。
純粋なの問いの答えもその時にはもう用意されていた。



「別に……俺はこの世界が壊れても、俺が死んでも……構わねえよ」



邪竜信仰に手を染めた時から自傷行為を行っていた俺の心も肉体も狂っちまった。
初めの頃に持っていたはずの絶望は快楽に置き換わり、今では血と痛みに飢えるただの狂人だ。

「……見切りをつけたこの世界にも、とうの昔に壊れている俺に対しても興味は無えな」

自分で言った言葉が、壊れているはずの俺の胸に鋭く突き刺さる。
と出会うまでは感じることも無くなったその痛みに俺は顔を歪めると、逃げ込むように彼女の肩口に顔を埋めた。



「主君のためになるなら……死を厭わないんですね」



静かに響くの声。
その声はなぜだか少しだけ震えていた。

「………俺の忠誠はソンブル様にも誰にもねぇよ。……ただ」

真っ暗闇の世界に手を差し伸べてくれたセピアの姿が俺の脳裏を過ぎっていく。
そう。俺の戦う理由はあの日…真っ暗な俺の世界に差した一筋の光に報いるためだ。

「……ただ、邪竜信仰で自傷行為に明け暮れて壊れた俺に声を掛けてくれたセピアは、
親の顔も覚えてない俺にとっては神や母親みたいな姉みたいな………大事な存在なんだ。
あの人はソンブル様にご執心だ。
……だから、……俺は、最期まで四狗として生きるだけだ」

そのためであれば何だってできると思っていた。
……はずだったんだけどな。

静寂だけが見守る二人だけの空間。
暖を取るという言い訳はやめて、俺は自分の想いのためにの体をぎゅっと抱き締めた。





俺は知ってしまった。

初めて触れた優しさとこのぬくもりを。

………何に変えても手放したくないという欲を。





「………まさか悔いができることになるとは思わなかったけどな」

素直な気持ちが俺の口を衝いて出る。
こんな問答だけでも心のどこかが埋まるような気持ちになっていくのだ。
言葉に反応したの視線と俺の視線がようやく合うと、俺は頬が緩むのを感じた。

「………!!」

の目から涙が伝う。
突然のことに戸惑った俺は肩をびくりと震わせる…が、次第にその涙の意味がなんとなくわかった気がしてきて。





……どうしようもないくらい……あんたのことが好きだよ。





潤むの瞳に口元が緩んだ俺の顔を映り込ませながら、
伝う彼女の涙を指先で拭うと…俺は許された時間いっぱいまで彼女を抱き締め続けた。