フィレネの襲撃から日を重ねて、私たちはイルシオン王国へと戻ってきた。
優先される目的は奪われた指輪の奪還と叶うならヴェイルの救出。
相手は邪竜の王。
それなりの覚悟を決めて敵地に赴いたはずだが、やはり実際に惨状を目の当たりにすると辛さが込み上げてくる。
停泊した港町はソンブルによってすでに異形兵の町へと変えられてしまっていた。
足止めのためだと相対した四狗のマロンとモーヴによると、イルシオンの民の血までもがソンブルへの贄として捧げられているのだという。
彼らが逃亡した道のりを辿る私たちの歩みの一歩一歩が白い雪の中に黒く怒りと悲しみを刻んでいった。
紡ぎの指輪 第4話
城下町も城門前も閑散としていて、私たちは皮肉にも何の苦も無く城内へと足を踏み入れることができた。
城内の兵士までもがソンブルの贄とされてしまったのか。
それとも何かの罠なのか。
静まりかえった城内に、リュールを始め、各国の王や兵士たちも戸惑いの表情を浮かべる。
「王城兵ならここにいるぜー?」
薄暗い城内に低い声がひとつ、響き渡る。
さきほど交戦したモーヴではなく、この声は……。
「グリ!!!」
叫んだリュールの見つめる先。
奥の通路から不敵な笑みを浮かべたグリがこちらに向かって歩いてくるのが見える。
フルルの港町では彼と交戦する機会は無かったため、間近で見るのは影の原野以来である。
あの時、何故彼は私を逃がしてくれたのか。
頭の片隅にあの日のことを浮かべながらグリを見ていると、大教会の時のように彼と視線が合ってしまった。
「………?」
目を反らすことなく、ただじっと数秒見つめられたかと思うと、グリは少しだけ顔を歪めた。
それが少し悲しげに見えたような気がして、堪らなくなった私は彼から視線を外してしまった。
グリが持つ慈愛の王女の指輪。
顕現したセリカを見せながら彼は言葉を続ける。
自分を倒せばこの指輪は返してやる、と。
その言葉が嘘か真かはわからないが、リュールはやるしかないと全軍に号令をかけた。
「そうこなくちゃ」
グリは楽しそうな声を上げながら、片手を振るう。
彼の動きに合わせて辺りに風の魔法が吹き荒れると、部屋にわずかに残されていた灯りが徐々に消えていった。
「……くく、……時間をかけて……俺を楽しませてくれよ?」
声を最後にグリの姿も闇の中へと溶けていく。
どこから彼が襲ってくるかもわからない真っ暗闇のかくれんぼ。
緊迫した空気に少し足が震えそうになる。
リュールの指示で近くにいる者と背中合わせになり、私も武器を構えると臨戦態勢に入った。
「いたぞ!!!」
「わあああああ!!!」
「……くそっ!!!」
何組かに分かれて広間を抜けようとすると、いろんな方角から衝撃音と悲鳴が聞こえてくる。
魔法の光を頼りに足を進めようとしても、彼はセリカの転移魔法を使うため、動向が全く追えないのが現状だった。
「……さてと、そろそろかくれんぼにも飽きてきたから場所を変えるか」
暗闇の中から大きく響くグリの声。
その声はどこから……。
「!!!」
「………しま……っ!?」
いち早く気付いたパンドロの手が私に伸ばされるが、勢いよく引かれた私の体には一歩届かず彼と私の手は空を切った。
「……悪いな」
頭上から小さな声が降る。
次の瞬間、グリが私にロックの魔法を唱え、私の体の自由を奪い去った。
自分の体がまるで鉛にでもなったかのように重く感じ、首から下は神経を断たれたみたいに動かない。
グリの腕の中で必死に私を奪い返そうとする仲間を見ていることしかできない自分に泣きそうになる。
「………放せ」
シュッとナイフがグリの頬を掠めていく。
掠めた場所から薄らと鮮血が溢れると彼はくくっと楽しそうな声を漏らした。
ナイフの飛んできた方向に視線を移すと、夜目の利くゼルコバとユナカがこちらをじっと見つめていた。
「……いいねぇ。……けど、そう急ぐなよ」
静かに笑ったグリの指に嵌められた指輪と右手に持たれた魔道書が光り出す。
「みんな逃げて!!!」
必死に叫んだものの、すぐにセリカの力は辺り一面に解放された。
裂くような衝撃音と光が城壁を走り、暴風による砂埃が舞い上がる。
「……返して欲しければ俺のところまで来いよ、……神竜様?」
砂塵で咳き込む仲間たちの声があちらこちらで聞こえる中、グリはリュールに不敵な笑みを浮かべると、指輪の力を発動させた。
リュールの唇がすぐに助けますと動くのを見て、私は申し訳なさも含めて静かに頷いた。
光に包まれた私の体はグリとともに闇の中へと溶け込んでいった。
「………着いたぜ」
グリの声に目を開けると、私の目の前には玉座があった。
……イルシオン城の玉座の間かな?
さきほどまでいた広間と同様に厳かな造り。
わずかに差し込む光が玉座の前に降り立った私と彼を映し出した。
「……悪いが、時間稼ぎに付き合ってもらうぜ?」
さすがに疲れたぜと愚痴を零しながらグリが私を左腕に抱き込んだままその場に座り込んだ。
彼にかけられた魔法のせいで抵抗することは叶わない。
なされるがままに床に腰を下ろした私の頭上で彼は小さく溜息を吐くと、右手に持っていた魔道書を床に置いた。
………さっきの魔法はエクスカリバーだったんだ。
見慣れた魔道書に目を向けていると、空いたグリの右腕が左腕と交差させるように私の体へ回り込む。
動けないんだから拘束する必要はないはずなのに…。
ずっとイルシオンの冷たい空気にさらされていたせいか、密着した部分から伝わる熱が異様に暖かく感じた。
軍で対峙していた時とは違い、グリからの殺気は感じられない。
ただ、静かに抱き込まれている状態に私は少し恥ずかしさを覚え始め、口を開いた。
「………どうして殺さないんですか?」
「……さっき言っただろ?あんたは今、時間稼ぎのための人質としてここにいるんだよ」
殺したら人質の意味が無くなるだろうと言うグリに私は首を横に振る。
「そうじゃない。私の存在はあなたたちにとって邪魔なはず。
……どうして影の原野でも、今も……私を殺さないんですか?」
あの日からずっと聞きたかったこと。
それを言葉にすると彼の腕がぴくりと動く。
「………なんでだろうな」
「………?」
「……なあ、異世界の救世主様。おとぎ話が本当なら、世界を闇に堕とす俺たちはきっと抗えないだろう」
グリが私の顔を覗き込む。
ようやく見ることのできた彼の顔は、とても切なげな表情を浮かべていて、赤い瞳はまっすぐに私を映していた。
「あんたが救世主だということはあいつらもソンブル様たちも知らない。……さっきの質問で言えるのはここまでだ」
そう言うとグリはぼんやりとどこか遠くを見つめ、口を閉ざしてしまった。
入れ替わるように静寂音がまた響く。
幹部である彼は仲間や自分の主君にさえも私の存在を内密にしている。
さきほどの彼の言葉も合わせると、彼はすでに匙を投げているようにも思えてしまう。
……考えていてもしょうがない、か。
殺されないのであれば、せめてリュールたちへの償いに何か聞き出せるものはないだろうか。
この機会を静寂で終わらせるつもりはない、と私は考えを巡らせていく。
「……ソンブルは指輪を集めてどうするんですか?」
「ああ?」
言葉にした瞬間、彼の口から苛立ったような声が漏れ、私は苦虫を潰したような表情になる。
核心を突いた言葉を口にするべきじゃなかったかな……。
まずいと警戒していると、しばらくしてから静かにグリが口を開いた。
「………最終的な目的は異界への侵攻だ。
この大陸だけじゃなく異界全てを手中に収めて支配することだと聞いている。
詳しくは俺も知らねえよ……」
異界という言葉に私は右手中指に嵌まる紡ぎの指輪に視線を落とす。
私のように何らかの力を借りて異界を渡る者が他にもいることを私は知っている。
十二の指輪の力を使えば、きっとこの世界でも不可能なことではないのだろう。
そしてもし、ソンブルがその望みを叶えた時。
今までに私が渡ってきた世界たちも壊されてしまうのかもしれない。
………もしかして、そのために……紡ぎの指輪は……?
長い旅の答えにようやく辿り着きそうだったが、体に回されたグリの腕に力が入るのを感じて私はそこで思考を止めた。
「あなたもソンブルと異界へ行くんですか?」
「……あんたたち次第って言いたいところだが、俺もソンブル様の駒のひとつでしかない。………この大陸と消えるのがオチだろうな」
呟くように放たれる言葉。
諦めるような溜息。
「……あなたはそれで良いんですか?」
「別に……俺はこの世界が壊れても、俺が死んでも……構わねえよ」
グリは私の肩口に顔を埋めると小さく溜息を吐いた。
見切りをつけたこの世界に興味は無い。
とうの昔に俺は壊れているからどうでもいい。
冷ややかに放たれた言葉はきっと彼の本音なのだろう。
今までの彼の言動から殺戮と痛みを欲して協力しているのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
私は彼の抱える重みをほんの少しだけ知れたと同時に同じ分だけ悲しくなった。
「主君のためになるなら……死を厭わないんですね」
これはグリに限った話では無い。
私やリュールを慕う仲間たちにも言えることではあるのだが、彼の場合はどうなのだろうかと気になった。
もしも、彼に主君への忠義が無くて、今の彼の心に手を差し伸べることができるのなら。
……この人と戦いたくない。
彼と対峙するたびに浮かび上がる私自身の切実で素直な気持ち。
少し間を置いてからグリは口を開く。
「………俺の忠誠はソンブル様にも誰にもねぇよ。……ただ」
彼の言葉が途切れる。
横目に見ると、何かを考えるように目を閉じた彼が映った。
「……ただ、邪竜信仰で自傷行為に明け暮れて壊れた俺に声を掛けてくれたセピアは、
親の顔も覚えてない俺にとっては神や母親みたいな姉みたいな………大事な存在なんだ。
あの人はソンブル様にご執心だ。
……だから、……俺は、最期まで四狗として生きるだけだ」
そうか……。
この人もまた大事な人のために……。
彼の想いに抗うことはできないのだと私は静かに目を閉じる。
……この人と引き合わせた紡ぎの指輪は一体何を伝えたかったのだろう。
ぼんやりと暗闇の中で考えていると、私の体がぎゅうっと力強くグリに抱き締められた。
「………まさか悔いができることになるとは思わなかったけどな」
耳元で小さく呟かれた言葉に私は顔を上げて彼を見る。
………あ。
目の前にはまるで慈しむように私を見つめる彼。
心臓がどくりと大きく脈を打つ。
それと同時に私の目からつうっと一筋の涙が頬を伝ってぽとりと床に落ちた。
……なん、で……私……?
拭うことの叶わないそれに戸惑い、そして気付かされることになる。
小さな水溜まりから目を離して次に瞳に映すは赤い瞳。
……ああ、そうか。
あの日から彼に持ち続けていた情だと思っていたもの。
それはいつの間にか…。
次々に生まれては伝う雫は彼の指先で遮られ、滲んでいた視界に優しく見つめる彼がはっきりと映り込む。
……こんなに近くにいるのに、どうしてこんなにも遠いんだろう。
グリの言葉の意味はおそらく私が彼と対峙したくなかった本当の答えと同じなのだろう。
今この想いを伝えれば何か変えられるかもしれないなんて考えも脳裏を過ぎるけれど、
生き方を決めた彼の信念は揺らぐことはない…だろう。
言葉にできない歯がゆさを感じながら私は彼のぬくもりに再び目を閉じた。
「………はあ」
空が黒く染まりつつある頃、私は船上の一角に座り込むと深く溜息を吐いた。
あの後、リュールたちによってすぐに私はグリの手から解放された。
息づかい荒く玉座の間に入ってきた彼らは必死に走ってきてくれたのだろう。
彼らを見て涙目になる私の背をグリが軽く押した感触はいまだにこの背中に残っていた。
すぐに始まったリュールとグリの一騎打ちの末、私たちは慈愛の王女の指輪を取り戻すことができたのだが、
リュールが紋章士を顕現し直したところでグリから衝撃の事実を告げられることとなった。
リュールが神竜ではなく邪竜の御子であると。
神竜の力が無ければソンブルは打ち倒せない。
それがわかっているのかグリは自分がここにいる目的がリュールの正体を見定めることと時間稼ぎであったことであると告げると、満足したように私たちの目の前から姿を消した。
取り残された私たちはシグルドによりそれが真実であると知るが、彼は意気消沈したリュールに言葉を続けた。
リュールの半分はルミエルの力を継いだ神竜のものであると。
彼の人柄を慕ってついてきたものは多い。
たとえリュールが邪竜だけの力しか持っていなかったとしても、きっと他の方法を模索したのだと思う。
軍のまとまりはグリの思惑通りにはならず、いっそう強固になった。
「こんなところに一人でどうしたんだ?」
ぼんやりと今日のことを考えているとパンドロがようと手を振ってこちらに歩いてきた。
「……今日の戦のことでちょっとね」
私がそう言うと、彼は少し表情を歪めながら隣に腰を下ろした。
「捕まったことなら気にしなくていい。…………それとも、……グリに何かされたのか?」
「………」
「……話しにくければ無理に話さなくてもいいからな?」
パンドロは安心させるように優しい眼差しで私の言葉を待ってくれる。
魔法を扱う彼とは肩を並べて戦う機会が多かった。
彼の人柄もあり、私たちが友達と呼べる関係になるまではあっという間だった。
彼は私がグリと出会った頃の話は知らない。
心配してくれる友人の優しさに甘えて、私は彼に今日までのことを踏まえてもやもやとした自分の思いを話すことにした。
紡ぎの指輪のこと。
導かれた先で瀕死のグリに出会い、助けたこと。
影の原野で見逃されたこと。
そして、彼が四狗でいる理由と戦いたくないという私の思い。
ぽつりぽつりと頭に情景を思い浮かべながら話していくと、彼はやがて「……ああ、それで」と納得したような呟きを見せた。
「がこの世界に来た理由がソンブルを倒すことだとするなら、四狗であるグリとは必ずまた対峙することになるだろうな。……けどさ」
真剣な表情になったパンドロがまっすぐ私を見つめる。
「はさ、どうしたいんだ?……紡ぎの指輪の意思とは関係無く…さ」
「……え?」
確かに辛いのなら戦わないという選択肢を選ぶことだって私にはできるはずだ。
けれど、私は今までに渡ってきた世界でも…ここでも、どんなに命が危険に晒されたとしても一度もそうしなかった。
決して指輪に導かれたから成そうという意思だけでは逃げ出さないという選択肢を選び続けられなかっただろう。
そして、その答えは自分の中にちゃんとあるのも知っている。
「……私も、グリと同じ。………大好きなリュールやパンドロ、みんなを守りたいから逃げないよ。
……それは絶対に揺らぐことのない私の意思」
揺らがないけど苦しいねと笑うと、そうだなとパンドロの右手が私の頭をそっと撫でた。
「ふふ、話を聞いてもらったらちょっと楽になったかも」
「はは、聞くことしかできないけどな。……ま、それでも今に必要なことはわかったぜ」
「……え?」
「一緒にフォガートたちのとこに行こうぜ!これから小規模だけど祝勝会やるからさ!!!ほらほら、早く!!」
「え、ええええ!?ちょ、待って……わわっ」
ぐいっと勢いよく手を引かれて立たされると、彼はそのまま引きずるように私を歩かせる。
おろおろとした表情を浮かべている私に彼は振り向く。
「戦う時は戦う!騒ぐ時は大いに騒ぐ!そうすりゃ心にも少しはゆとりができると思うぜ!」
手を掴んでいないもう片方の彼の指先が私の口角をくいっと上げてみせた。
「……次の戦のためにも、まずは英気を養おうな」
にこりと微笑んだ彼に私はつられるように笑う。
私の中で蠢いていた重苦しい何かはいつの間にか消えていった。