痛ってぇ…っ。
まさか暴走した異形兵に不意を取られるとは思わなかったぜ。
どうにか倒したものの、その間にもらった傷は重く、崩れ落ちるように座り込んだ俺に生を実感できる痛みをじわりじわりと与えてくる。

「……ぐっ」

歯を食いしばり、肩や足に突き刺さったナイフを引き抜くと、俺は苛立ちや痛みをぶつけるようにそれらを地面に放り投げた。
カランと乾いた金属音が鬱蒼と茂る森の静寂を破り、そして消えていく。
……致命傷は避けたが、厄介な攻撃を受けたな。
体が熱い。……痛い。……痛い。
ナイフに仕込まれた毒が自分の中を蹂躙していくのを感じる。





「…くっ、げほっ!!!……う、っく……はぁ……っ」





何かが込み上げてくるのに耐えられず吐き捨てると、地面は赤い液体で小さく染まった。
転移魔法で戻るつもりだったが、思ったより体に力が入らないせいか魔力をうまく扱えなくなっていることに気付き、俺は失笑した。
生まれてから今までろくな事など確かに無かったが、こんな無様な最後を迎えるのか……俺は?
こんなしょうもない死に様とか絶対あいつらに笑われるな…。
諦めたように目を閉じるが、すぐに人の気配を感じて俺は目を開けた。
さっきまでどこを見渡しても誰もいなかったはずだ。



「……ここ、どこ?」



突然現れたその声と、双眸で捉えた女の姿に俺は睨みをきかせる。
青いローブ……魔道士か何かか?
まだ俺に気付いていないその女は、迷子のように辺りをきょろきょろと見回している。

「……なんだァ?」

そのうちに俺とも目が合うと、彼女は少しずつ近付いてきた。
そして、おそらく俺の状態に気付いたのだろう。血相を変えて彼女は駆け寄ってきた。





紡ぎの指輪 第1話 Side:G





「大丈夫ですか!?すぐに手当てをしますね!!!」

そう言うと女は、背に差していたのかリライブの杖を手に取ると俺の肩へと近付けてきた。

「……要らねぇよ。今、この痛みを楽しんでんだ。邪魔すんじゃねぇ…!」

ぐっと彼女の手首を跡が残るのではないかというくらい強く握り込む。
……あーあ、セピアたちと同じようにこいつも俺の発言に引いたような顔してんな。

「たの、しむ…?」
「……ああ。痛みは俺にとっての至高だ。だから放って………んぐ、……げほっ!!!」

ずっともう遙か昔に……俺はそういう人間になっちまったんだ。
だから放っておいてくれ。

興が冷めたようにそう口にしていると、また蝕まれていく体が悲鳴を吐き出そうと俺の体を動かした。
咄嗟に覆った手を吐き出された俺の血がべっとりと汚した。
苦しくて、呼吸が荒くなる。
ああ、この感覚だ。たまらなく生を実感できる。
だが、まだやらなければならないことはある。
どうにか呼吸を整えようとしていると、頬にひんやりとした女の手が当てられた。
こんな風に人に触れられたのはいつぶりだろうか。

「外傷だけでなく、これは……毒、ですね?」
「……はぁっ、はっ………だったらなんだ。……ったく、……とんだ邪魔が入ったな…っ」

今の自分に似つかわしくない思いが浮かんだ俺は、その思いに飲み込まれないようにこの場を離れることにし、立ち上がる。
が、痛みや苦しさが俺を地面に引き戻そうとする。
抗おうとすれば、今度は女が俺の左手首を掴んだ。
苛立ちは大きくなるが、彼女の手を振りほどくことすら体は許してはくれなかった。

「毒消しの薬です。飲んでください」
「……げほっ……はぁ、はぁっ………い、らねぇ…っ」
「まだやることがあるのでしょう?……飲まなきゃ確実にここで死んじゃいます!」

何を言っても早く飲んでくださいと俺の口元に瓶の口が強引に押し当てられる。
要らねぇって言ってるのに。強情なやつだな。



……くっそ、頭がぼんやりしてきたな…。



そうこうしているうちに俺の頭は限界を迎え始めてきたらしい。
微睡みそうになる中で、女が瓶の口を自身の口元に当てて中身を飲み始めるのが見えた。
数秒遅れて俺は何をされるのかに気付いたが……遅かった。





「!!」





彼女の唇が俺の唇に重なる。
驚いて半開きになった俺の口の中へゆっくりと少しずつ液体が流し込まれてくる。
顔を背けて逃げようとしたが、彼女の両手は俺の頭をしっかりと押さえて放さない。
逃げ場を無くした俺はおとなしくそれを飲み干すしかなかった。
少しの酸欠と居座り続ける毒に侵された頭だったからだろうか。
触れた唇の柔らかさとあたたかみで心のどこかが少しだけ和らぐような気がした。










「……全部治しやがって。………お人好しめ」
「毒も怪我も、全部治ったんですね?……よかったです!」

嫌味を吐いた俺に対して、嬉しそうに微笑んだ女に不覚にもほんの一瞬だけ目を奪われる。
ほんの少しだけ俺の中の何かがすうっと消えたような感覚。
毒消しとリライブの効果もあって、体はだいぶ楽になってしまった。
女のほうは魔力を消費したせいか、少し疲れているようだ。
俺も魔法を扱うからその疲労具合はなんとなくわかるつもりだ。
ぼーっとしている彼女を横目にゆっくりと立ち上がり、腰に携えている魔道書に手を掛ける。

「疲弊しているあんたを、素性もわからない俺が殺すとは思わなかったのか?」

彼女の瞳は静かに俺を映す。
一度だけ俯き、何かを悟ったような、諦めたような…そんな表情を浮かべた後に彼女のその瞳は俺をまた映す。

「あなたは私を殺さない」
「はあ?」
「……でも、もし殺されることがここに連れてこられた私の運命の先だとするのなら………いいですよ」

窮地に追い込まれているというのににこりと微笑む。
なんなんだこいつ……。
一体何を経験してきたらこんな風に笑えるんだ。



「……はぁ、何言ってんだ。……ったく、やってられるか」



馬鹿らしくなった俺は魔道書を戻して彼女に背を向けた。
はぁ、戻るか…。
歩き出しながら背に差してある転移の杖に魔力を込めるがうまく集中できない。
くそ…っ。
その理由に俺は後ろを振り返る。

「………あんた、……名前は?」
です」
「……これは借りにしておく。……じゃあな」

なんなんだよ……ったく。
今度はうまく魔法が発動したようだ。
すぐに俺の目に薄暗い部屋が映された。

見ず知らずの女に不可抗力だとしても、口付けを許してしまった。
しかも、たちが悪いのは虫唾が走るどころか、俺は……。
あの柔らかな感触。あたたかさ。……笑顔。
思い出して自身の口元を指先で触れる。
慣れないものに触れただけだ。

「………はっ。……どうかしてんな」

冷たい静寂の中に俺の小さな呟きはただ静かに溶けていった。