聖地リトス。
ソンブル様がかつて治めていた王国…グラドロンを封じる神竜紋がある場所。
緑豊かで、通う空気すら美しいと感じたのも束の間。
神竜紋を探しに向かわれたソンブル様の戻りを待つ間にそれらは瘴気に当てられ、淀み…枯れ果てていった。
今の……俺たち四狗の関係のように。
「……神竜を連れてきたですって?……まさか、二人とも寝返るだなんて…」
イルシオン城に置き去りにしてきたモーヴとマロン。
両名が追いついてきたことに俺の口角は上がった。
しかし、戻ってきた彼らが告げた言葉にすでに脆くなっていた俺たちの関係に亀裂の入る音が俺の脳内に響いた気がした。
対峙するように向かい合わせのままで俺たちを睨むモーヴと悲しそうに目を伏せたマロン。
いつかこうなるんじゃないかとは思っていた。
俺の隣で二人を見下ろす…彼女の夢見た家族の幻想は覚め始める。
紡ぎの指輪 第5話 Side:G
ソンブル様の魔法具とセピアの術により、本物の人格が完全にいなくなってしまったヴェイル様。
彼女は邪竜本来の破壊衝動に口元を緩ませながら、目の前に現れた神竜たちを楽しそうに見渡している。
これがソンブル様とセピアが望んだ邪竜の御子…か。
と出会う前の俺ならきっと…冷酷で嗜虐的で圧倒的な力を持つ彼女に興味を持っていたことだろう。
術をかけられたヴェイル様と満足そうな顔をしたセピアが俺の前に戻ってきた時。
俺の中で何かが蠢いて、それは俺の眉をしかめさせた。
顔を歪めて彼女を見るモーヴとマロンが今思っていることはきっと俺がその時に感じたものと同じだろう。
違うのは……。
「……でも、やっぱり、これ以上はついて行けない!
……誰に褒められなくたって、ボクはボクの正しいと思ったことをする!」
自分の想いを殺さず道を違える覚悟を決めたマロンが床を蹴り上げる。
勢いを殺すこともなく、一切の迷いを見せることもなく大きく振りかぶった斧。
長年、慕っていた者の制止の声も聞かずに力一杯に振り下ろされたその切っ先はヴェイル様の魔法具と衝突して鈍い金属音を城内に響かせた。
「う、あ…っ!?」
宙で魔法具に纏わり付いた力に抵抗するも、力及ばず小さな体は勢いよく後ろに弾き飛ばされていく。
床に強く体を打ち付け、その痛みに顔を歪ませながらもなお体を起こそうとするマロンだが…
彼女はさらに目の前の光景と降り注ぐ楽しそうな声に顔を歪ませることになる。
「そんな……ボク、何もしてあげられないの?」
静かに伝う雫は、徐々に大粒になって床に落ちていく。
ひっくひっくと悔しさと悲しさと絶望とがごちゃ混ぜになった嗚咽が漏れ出る。
四狗として迎え入れられた頃ぶりに見る彼女の表情に俺の胸は酷く痛んだ。
「だから、やめなさいと言ったのに」
呆れたような、宥めるようなそんな声。
いつものようにマロンに手を差し伸べに歩き出したセピアの背を見送る俺。
母親のような姉のような…。
失敗した時はいつもその小さな体を抱き寄せて、頭を撫でてやるのだ。
「………?」
差し込む陽の光が彼女の手元をキラリと光らせる。
それが何であるかに気付いた俺の体は制止を望むように動いた。
「「マロン!!!」」
俺の声と重なる別の者の声。
それが誰のものかなんて見なくてもすぐにわかった。
小さく呻いた声に俺の動きは止まり、伸ばした手は力無く下がっていく。
「……貴方が悪いのよ。私の言うことを聞かないから」
「セピ…ア……?」
苦しそうな声とともに血の雫がぽとぽとと真下に落ちていく。
やがて床に崩れ落ち始めるマロンと走り出したモーヴとの姿がゆっくりと俺の双眸に映る。
小さな体を抱き寄せ、手を握りながら幾度も必死に彼女の名を呼び続けるモーヴ。
何度も…何度も……もう効かないとわかっていても杖をかざし続ける。
「………っ」
紅く染まったナイフを放るセピアとともに在ることを決めてしまった俺の体は動くことを許さない。
こういう日がくるのではないかという考えも覚悟もとうに決めていたはずなのに。
実際に目の当たりにした俺の頭も心の中も混沌としていて…とにかくぐちゃぐちゃだった。
逃げるように目を伏せた俺の耳に響いていた小さなマロンの声もやがて途絶え、
俺の視界の隅に見えていたはずの癒やしの光も消えてしまった。
ずいぶん忘れていた熱いものが込み上げる感覚に俺は唇を噛んだ。
「あら、死んじゃったの?悲しいわ」
隣から発せられる言葉。
それはマロンを偲ぶ静寂音を切り裂いたのと同時に、生まれていた亀裂から大きく四狗の絆も引き裂いていった。
「黙れ」
モーヴの低い声と怒りに満ちた表情。
彼の手に持たれた炎の槍の切っ先がセピアに向けられる。
きっと俺が向こう側にいたのなら…俺もあいつと同じことをしていたのかもしれない。
セピアの言葉で握り込んでしまっていた拳を宥めるようにゆっくりと開いていると、
相対する二人の様子を見ながらヴェイル様が神竜に歩み寄り始めた。
「………始まりそうね。準備はいいかしら…グリ?」
「……ああ。……だが、戦う前にマロンを移動させてもいいか?」
俺の言葉に驚いたようにセピアが目を丸くさせる。
「……貴方がそんなことを言うなんて珍しいわね。………情が湧いたのかしら?」
「………長く、いたからな」
「……そうね。………貴方も家族としての決別をしていらっしゃいな」
バチンと大きな音を立ててヴェイル様のトロンが神竜に放たれる。
それを合図に隠してあった異形兵が神竜軍に向かって解き放たれた。
俺も少しぼやけた視界に捉え続ける桃色とそれに寄り添う青色を目指して歩き出す。
その途中でまっすぐにこちらに走ってきていた銀色が俺の横を通り過ぎようとした。
「俺を止めるか?」
「……いいや」
すっと出た自分の言葉に彼は勢いを止めることなく走り去っていく。
俺も驚くこともなく。
振り向くこともせず。
今はただ喧騒の中に取り残された彼女たちのもとへ。
「……重いだろ。手ぇ貸すぜ?」
マロンの体を抱き起こそうと奮闘していると向かい合うようにしゃがみ込む。
この間の二人きりの時間とは違い、今は両軍の目がある。
四狗のひとりである俺の存在がの目の前にあることに神竜軍からは焦った声が飛び込んでくる。
……この前、攫ったからか?
俺からに危害を加えるつもりは全く無いのだが、彼女が俺を敵として見ているのは確かだ。
強張る彼女に対してほんの少しだけ口元を緩めてみる。
「安心しな。……こいつが踏み荒らされるのは俺もごめんだ」
張り詰めていたの表情がほんの少しだが緩んだのを見て、俺は両腕でマロンの体をゆっくりと抱え上げた。
……あっちのほうなら大丈夫か?
両軍から距離をとった柱の陰を見つけた俺はに目配せする。
「……こいつは俺が運ぶ。……あんたはその斧を持ってきてくれるか?」
俺の言葉にが静かに頷いたのを見てから、俺は抱えたマロンの重さを感じながら歩き出す。
小さな体に冷たく重い…重装歩兵の鎧。
強気な表情を浮かべて四狗を振り回していた少女の顔は青白く…もう動かない。
最期の表情がこんなにも穏やかだなんてな……。
セピアと交戦を続けるモーヴと俺の後ろをついてくるを交互に見た俺は、また込み上げてきた熱さを必死に噛み殺した。
「……悪いな。重かっただろ」
柱にマロンの体をもたれさせ、が持ってきてくれた斧を眠る彼女の隣へ静かに置く。
………昼寝してるだけ、みたいだな。
ったく、こんな重装備も…ヴェイル様のことも。
……お前は無茶しすぎなんだよ。
「……まったく、こいつのどこにそんな力があったんだかな」
らしくないとマロンに言われそうだが、ほんの少しだけ祈るように目を伏せる。
ぼんやりとした視界に俺を見つめるを見つけて、マロンを運んでくれた礼を言わなければと口を開く。
が、突然上がった甲高いヴェイル様の悲鳴に俺の思考は一気に緊迫した現実へと引き戻された。
どうやらヴェイル様の魔法具にヒビが入り、セピアの術が解けたらしい。
マロンを讃える神竜軍の歓声が城内に響く。
……ああ、そうだな。
間違いなくさっきのあいつの攻撃のせいだろう。
「………ありがとう…っ。……あなたは本当にすごいね……っ」
「………っ」
ずっと称賛を欲していたマロンの頭をがゆっくりと撫でる。
……ああ、お前は本当にすごいよ。自分を偽ることなくやり遂げたんだ。
それに比べて、俺は……。
自分で生き方は選んだのに、あんたとこうなりたいって想いは増え続ける一方だ……。
矛盾するふたつの想い。
改めて痛感する辛さ。
中途半端な自分に情けなさを感じた俺は強く拳を握り締めると、自分自身への苛立ちをその肌に食い込ませた。
「そうはさせぬぞ」
握り込んだ手の平から紅い液体が薄らと見えたかと思えば、突然の地響きとよく知る重く厚い声が城内に響いた。
邪竜…ソンブル。
狂ったように信仰していた時とは違い、その黒く禍々しい竜には今は恐怖しか感じない。
神竜を庇うようにソンブル様に立ちはだかるヴェイル様。
幾度か見てきたやりとりだが、今日はいつにも増してかなり殺伐としていた。
会話の末に大きく口を開けたソンブル様に怯えるヴェイル様。
「ヴェイル!!!リュール…っ!!!!」
何が行われるのか察したの手首を慌てて俺は掴んだ。
「放して!!!」
泣きそうな表情を浮かべてぶんぶんと力任せに俺の手を振りほどこうとする。
あんたが行ったところでソンブル様の力で三人とも殺されるのは目に見えてるんだよ!!!
それとも救世主ならどうにかなるのか!?
こんな状況でさえどうにかしようとする彼女に苛立った俺は握り込む力をさらに強める。
………っ。
……救世主だなんて関係無い。
俺はっ、あんたが…死ぬところなんて、見たくないんだよ……っ。
「お願…」
「頼むから行くな…っ!!!」
「………!!」
大きく首を振り乱し、必死にに懇願する。
ようやく振り向いた彼女の目は俺を映して大きく開かれ、俺の視界の端にはヴェイル様を庇う神竜の姿が映った。
圧倒的な力。
放たれた竜のブレスにより、焼けるような熱さと焦げた匂いが城内に広がっていく。
「りゅ、……る?」
ヴェイル様を守り切った神竜の体は力無く床に崩れ落ちていく。
その光景をずっと見つめたままの。
放心した彼女の瞳から溢れた涙を拭うことはあちら側である俺には許されない。
……ごめん。
…………ごめん。
………っ。
「グリ、行くわよ」
十二の指輪の力は解放され、ソンブル様は野望への一歩を踏み出された。
邪竜の娘として君臨し直されたヴェイル様を残して、俺たちはこの空間に別れを告げる。
絶望したの顔。
穏やかなマロンの顔。
彼女たちに背を向けて歩く俺の足はどんどん重くなっていく。
セピアの一声でいとも簡単に外してしまったの手。
必死に掴んでいた分、自分自身に嫌気とやり場のない怒りが込み上げてくる。
これでが死んだら、あの時手を掴んだ意味も無くなるだろうが……っ。
飛竜の背に身を預け、遠退いていく神竜王城。
城の隙間から時折漏れる閃光にそんな資格は無いと知りながらも…それでも、俺は祈るように目を伏せた。