その指輪はかつて宝玉だったもの。
それは世界が必要とした時のみ救世主を呼ぶために現れる。
また、その宝玉には異界を渡る精霊が宿っており、自身が喚んだ者に力と願いを託し、その終わりまで導くという。
導かれた救世主が現れた先には救いがもたらされる。
英雄王の世界の王女は闇に染まる世界に嘆き、現れた宝玉に宿る精霊に祈りを捧げて、その力を解き放った。
精霊はその力で、自身の選びし異界の者に告げた。
どうか世界の運命を変えるために私の導く先までともに来てほしい。
それはきっと長く苦しい戦いに幾度も身を投じることになるだろう。
しかし、あなたの未来、運命はこの世界と深く交わっている。
だからこそ私の声は届いた。
あなたにしか私は、世界は頼むことができないのだ。
どうか、私の導く先までともに来てほしい。
頷いた異界の者のその答えに宝玉は指輪の形へと姿を変え、その者に力を託した。
やがて、英雄王と異界の救世主の加護により闇は晴れ、王女の世界は安寧を取り戻す。
そして、王女の世界の運命を見届けた異界の者は、精霊の力により姿を消した。
紡ぎの指輪 第1話
「わぁ、なんか気恥ずかしいですね…!」
「ふふ、僕もそう思うよ」
フィレネ王城の書庫から持ってきたという、セリーヌお勧めのおとぎ話の本を読みながら私とマルスは顔を見合わせて笑った。
私は。
ある日、突然目の前に現れた紡ぎの宝玉に宿る精霊に喚ばれて、自分の世界からマルスの暮らす世界に召喚されてきた至って普通の人間である。
指輪となった宝玉に宿っていた精霊の願いを叶えるべく、導かれるままに時空を超え、転々と色々な世界の運命を仲間たちとともに紡ぎ、見届けてきた。
この世界に導かれた時に最初に目にしたのは、殺伐とした城内で泣きじゃくるリュールたち。
そして、リュールの腕に抱かれた今にも命の灯火が消えそうな女性。
紡ぎの指輪の救世主。
もしも私の祈りが通じてこちらにいらしてくれたのなら、
どうか、リュールを助けてあげて。
リュールのお母さんの最期の願いに導かれたのだと知り、私は彼女の手を取り頷いた。
そんな悲しい出会い方をした世界だったけれど、驚かされた世界でもあった。
いつもと違ってかつてともに戦った者たちとの再会。
例えば、ここに居るマルスとシグルド、そしてセリカにミカヤだ。
彼らは異界の英雄を元として創られた紋章士というこの世界の神のようなものだという。
それでも私と過ごした記憶もあるため、彼らとの再会は私にとって嬉しいものだった。
「すごいです。この話はおとぎ話ではなく本当にあったことなんですね!」
子供のように目をキラキラとさせるリュールに、一緒に本を囲んでいた仲間たちは微笑んだ。
「リュールもおとぎ話の住人ですよ?」
「はは、そうでしたね」
つい先日、リトスからフィレネ王城へ渡り、今はブロディア城へ旅立つための準備期間中。
母親を失い、時折暗い顔をしていたリュールにも笑顔が戻りつつあり、私はにこりと目を細めた。
「んー、面白かったぁー!セリーヌ王女、これ…ありがとうございます!」
そう言って読んでいた本を閉じてセリーヌに差し出すと、一点を見つめた彼女は不思議そうに首を傾げた。
「さん。その……指輪、光ってませんか?」
「え?」
彼女の言葉に私も、そしてそこに居た誰しもが私の右手中指に嵌められた指輪を見る。
確かにほんのりと光っている気がする。
「紡ぎの指輪!!!まさか…っ!!!」
どうにかしようと慌てたミカヤが私の手を取ろうとするが、物体を掴むことのできない彼女の手は私の手を空しく通り抜ける。
その間にも指輪は少しずつ光を大きくしていく。
「おとぎ話の通りなら、もしかしてはこの世界からいなくなってしまうのかい!?」
「が……そんな、まだ…まだ出会ったばかりじゃないですか!」
アルフレッドとリュールがミカヤの代わりに私の両の手を取り、指輪にすがる。
彼らの言うとおり、私たちはまだ出会ったばかりだというのに絆が芽生え始めているのだと思うと私も切なくなり顔を歪ませた。
まだ、リュールのお母さんの願いも終わってないのに…!!
「!!!」
とうとう光は私の体の全てを包み込み、その眩しさに耐えながら目を細めて彼らを見れば、マルスが必死にこちらに手を伸ばしていた。
「マルス…っ」
絞り出した声を最後に、私は転移の揺れの中へと引き込まれ、眠気を誘うようなあたたかさに目を閉じた。
「……ここ、どこ?」
ようやく光が私を放したかと目を開ければ、そこは鬱蒼と木々の生い茂った森の中。
さきほどまでいたソラネルとは違い、少し肌寒い。
凍えないうちにどうにかしないと、と辺りをきょろきょろと見回せば、木に背をつけて座りこんでいる人が見えた。
「……なんだァ?」
サクサクと鳴る落ち葉の音も手伝って、顔をこちらに向けた男が鋭く睨む。
深緑色の髪に赤い瞳。その顔には赤いタトゥーに無数のピアスが鎮座していた。
ほぼ上裸でマントを羽織った男は見たところ魔道士…だろうか。
近付くたびに増していく男の出す殺気に怖じ気づきそうになるが、
この状況をどうにかしないといけないので恐る恐るではあるが少しずつ距離を縮めていく。
が、男の状態がわかるほどの距離になったところで私の足は慌てるように歩を早めた。
「大丈夫ですか!?すぐに手当てをしますね!!!」
男の額と口からは血が伝い、肩と足の部分を覆う布には大きく血が滲んでいた。
背に差していた癒やしの杖を抜き、患部に近付けようとするが、男の手がガッと力強く私の手首を掴んで止める。
「……要らねぇよ。今、この痛みを楽しんでんだ。邪魔すんじゃねぇ…!」
「たの、しむ…?」
「……ああ。痛みは俺にとっての至高だ。だから放って………んぐ、……げほっ!!!」
私の手首を掴んだ手とは逆の手で口元を押さえると、男は苦しそうにその口から血を落とし始めた。
べっとりと赤い液体が彼の手を汚していく。
男の発言には少し引いてしまったが、こんなものを見せられて放っておけるわけがない。
「失礼します」
吐血をしたばかりで必死に息を整えようとする男の頬を触ると、異様に熱を持っているのが手の平に伝わってきた。
「外傷だけでなく、これは……毒、ですね?」
地面に散らばる数本の血が付いたナイフ。
きっとこれに毒が塗られていたのかもしれない。
「……はぁっ、はっ………だったらなんだ。……ったく、……とんだ邪魔が入ったな…っ」
苛立つように男は言うと、木の幹に背を預けながらどうにかして立ち上がろうとする。
そんな男の様子に行かせるものかと私は手を伸ばし、その場から逃げようとする彼の腕を捕まえた。
「……放せ!!!俺はやることがあるから行、くっ………ぐっ……ごほっ……ごほっ」
腕を振りほどくこともできずに男はまた咳き込み、その場に崩れ落ちる。
彼が咳き込んでいる間に私は持っていた杖を地面に置くと、自分の鞄の中から毒消しの効果のある薬瓶を取り出す。
そして、それを男の前に差し出した。
「毒消しの薬です。飲んでください」
「……げほっ……はぁ、はぁっ………い、らねぇ…っ」
「まだやることがあるのでしょう?……飲まなきゃ確実にここで死んじゃいます!」
そう言って男の口元まで瓶の口を持っていくが、彼は顔を背けてしまう。
「………はぁ、はぁ」
埒が明かないまま、とうとう彼はさらに数度の咳き込みと毒の回りで、薄く苦しそうな呼吸だけを繰り返すようになってしまった。
もうなりふり構ってなどいられない。
男の生死を目の前にした私は行動を起こすことにした。
「すみません」
意を決し、瓶の中身を口に含むと、男の頬と顎に手を添えて上を向かせる。
毒がだいぶ回ってきたにもかかわらず、視線だけでもまだ抵抗しようと睨む男に、心の中で謝りながらも私は彼の唇に己の唇を重ねた。
「!!」
口に含んだ薬をゆっくりと男の口内へ流し込んでいく。
しっかりと私の手で顔を固定された男は入り込んできた液体の逃げ場も無い。
「んっ…く、……っく……っ」
こくりこくりと喉を鳴らす音と男の苦しそうな声だけが木々のざわめきの中に溶け込むように消えていく。
全ての液体を流し終えたところで私は閉じていた目を開ける。
苦しさに目を閉じたのであろう。その整った顔立ちを歪ませながらも男は最後の薬液を必死に飲み込んでいた。
「……ふぅ」
「……はぁっ」
彼が薬を飲み下したのを確認した私はゆっくりと唇を離す。
同時に苦しかったと言わんばかりに男が大きく息をした。
男の口端にほんの少しだけ伝う液体を指で拭い取ると、もう彼は何も言わずにただぼんやりとこちらを見ていた。
「そのまま安静にしていてくださいね」
「………」
もう好きにしてくれと言いたげにまた目を閉じてしまった男に微笑むと、私は地面に置いていた杖を持ち直して今度こそと癒やしの魔法を発動させた。
「……全部治しやがって。………お人好しめ」
「毒も怪我も、全部治ったんですね?……よかったです!」
安堵の笑みを浮かべると男はバツが悪そうに舌打ちをした。
……ふぅ。ここのところ戦闘詰めだったし、さすがに少し疲れたな。
それよりも彼がもう少し落ち着いたらここがどこだか聞かないと。
そんなことを考えていると私に大きく影が差した。
「疲弊しているあんたを、素性もわからない俺が殺すとは思わなかったのか?」
いつの間にか立ち上がっていた男は、腰に携えた魔道書を手に取ると、不敵に笑った。
そんな彼を私は静かに見つめると、私の行動を待つ男に口を開いた。
「あなたは私を殺さない」
本気で殺そうという空気が感じられない。
これまでの異界渡りの軌跡でなんとなくだが判断した私の口からは、自分でも驚くほど冷静にその言葉が出た。
「はあ?」
「……でも、もし殺されることがここに連れてこられた私の運命の先だとするのなら………いいですよ」
常に戦時に置かれることになった理由である紡ぎの指輪を見て私は諦めたように笑う。
そんな私の様子に男も呆れたような顔で構えていた魔道書を下ろした。
「……はぁ、何言ってんだ。……ったく、やってられるか」
がしがしと頭を掻くと男は私に背を向けて歩き出す。
その様子を静かに見守っていると、彼の足は数歩進んだところで止まり、再びこちらを見た。
「………あんた、……名前は?」
「です」
「……これは借りにしておく。……じゃあな」
男は静かにそう言うと、転移魔法を発動させたのか、そのまま私の目の前から姿を消した。
「……あーもう、………初めてだったのになぁ」
唇にそっと指を這わせる。
けれど、不思議と後悔は無かった。
「………しまった!ここがどこだか聞くの……………ん?」
光り出す指輪に視線をやる。
まるでもう用は済んだというようにまた私をその光で包み始めていく。
「あの人と何か縁があるの…?」
消えていく自身の体。
もし、この導きが彼との縁を結ぶためだったならば、きっと私はまたソラネルに戻るのだろう。
待ってて、リュール。マルス…みんな。
不思議とまた戻れると思えた私は、光に身を委ねて瞳を閉じた。
この日に出会った男が四狗のひとりだということ。
私が神竜と行動する者のひとりだということ。
私たちがそれを知ることになるのはこのずっと後のことだった。