「ふぅ……」
雨も降りそうだし今日はこの辺にしておくかな。
薄暗くなってきた空を背に青年バーツは農耕道具を片付け始めた。
流せない想いは湯船に乗せて
畑仕事の後には城内に隣接した船の上で経営されている友人ゴロウの風呂屋へと赴くのが俺の日課だ。
今日も畑を愛した成果を洗い流そうと船上に吹く風にわずかに揺れる暖簾をくぐる。
「おーい、ゴロウー!」
思わずうたた寝してしまうほどの気持ちよさ、そのおかげで開放的になるのか会話が弾み、風呂屋内のどこもかしこもがいつも賑やかである……のだが。
「……ゴロウ?」
暖簾をくぐった先はいつもとは違い、奥の扉からわずかに聞こえてくる湯の流れる音だけが響いていた。
番台にいつも座っているゴロウの姿もなく、俺はどうしたものかと眉をしかめた。
番台をちらりと見ると重しを乗せられた紙が一枚置いてあるのを見つけ、綴られた文字を読んでみる。
ヒューゴと出掛けてきます。
帰りは夜となりますが、風呂は開放しておきます。
ゆっくりうたた寝していってください。
注意。
男女風呂ともに故障により現在、混浴風呂しか空いておりませんがご承知ください。
「……混浴風呂……ねぇ」
気恥ずかしくて今まで一度も入ったことなどなかったが。
……気配は無いし、こんな真っ昼間の時間じゃ誰も来ないだろう。
汗で張り付く布地と香る土の匂いに俺はガラガラと扉を引いた。
男性用の脱衣所には誰の服も見当たらないことを確認した俺は手早く纏った服を脱いでいく。
持ってきた替えのシャツは汚さないように奥へと入れ、この風呂屋でのエチケットであるため腰にタオルをしっかりと巻く。
体を拭く用のタオルを手に持つと俺は浴場への扉の前で深呼吸をした。
……誰もいないといいんだけど。
カララ……とほんの少しだけ扉を開けて隙間から中を覗くと俺はすぐにその続きを開いた。
「貸し切りじゃん!……よかったっ!!」
湯の流れる音と目前に青く広がる湖と空だけが俺を迎え入れてくれた。
この風呂屋で貸し切りという状態にもあまりなったことが無かったため、心は躍っていた。
汚れた体を洗い流すためにウキウキとしながらバーツは入口付近に積み上げられた風呂桶に手を伸ばす。
「……っと………あ!!!」
風呂桶を持ち上げようとした瞬間、蒸気で湿った桶に指を滑らせてしまった。
まずいと思った時には既に大きな音を立てて足下にそれらは転がった。
「……うっわ、やったな。……はー、戻すか」
壊れてないよなと手に取った桶を確認しては元通りにと丁寧に積み直す。
コトン、コトンと木で作られた桶の音が静かに鳴り響く。
お湯の音に木の音が交わる。
音だけを聞いていたらこれだけでも十分いい癒やしになるのにな。
桶置き場の前でしゃがみ込んだ俺から出るのは溜息ばかりだ。
……早く湯船に浸かりた…。
「……バーツ?」
「………!?」
急に背後から聞こえた声に俺の体は固まった。
いつの間に入ってきてたんだ…!?集中しすぎて全然気付かなかった……っ。
しかもこの声は……。
顔だけそうっと後ろに動かせば、おろおろと困ったような表情のが俺の目に映った。
大きめのバスタオルを巻いただけの。
普段は見ることがない露出された肌につい目がいってしまい、我に返った俺は積み上げた桶のほうへと視線を外した。
「……も入りに来たのか?」
「……う、うん」
まわりからは仲良し四兄妹なんて言われている俺たちの会話がこんなにも続かず静寂音が流れることなんてそうそう無い。
それだけお互いに今の状態が気まずいのだろう。
たぶんも俺と同じような考えで入ってきたんだと思うし。
「……ええっと、私……出るよ!また後で入りに来るねって……わぁっ」
沈黙を破ったのは彼女の焦る足音と慌てた声。
その声に慌てて俺も振り向くと、脱衣所への扉を開けて中に入ろうとしたの体が前に倒れようとしているのが見えた。
慌てて駆け寄った俺は手を伸ばしてその体を腕に閉じ込めた。
「……あっぶね。大丈夫か?」
「う、うん!……ありがとう、バーツ!」
「足は?切ったりとか痛くなったりしてないか?……ほら、見せて?」
扉の枠に掴まってもらい彼女を立たせると、俺はその場にしゃがみ込んで彼女の足を片足ずつ手に取り眺めた。
……うん。怪我は無さそうだな。こっちの足も大丈夫そうだし……よかった。
ふにふにと彼女の足を触っていると耐えきれなかったのか小さく笑い声が上がった。
「……ふふっ。くすぐったいよ、バーツ!」
「……わ、悪い!……触りすぎたか?」
心配で咄嗟にとはいえ、改めてこの状況を見ると俺、だいぶすごいことしてるんじゃないか?
しかし、を見ればさきほどまでのおろおろとしたような緊張感は無くなっているみたいだった。
「心配してくれてありがとう!私も、驚かせちゃってごめんね?それじゃあ……」
「……一緒に入るか?」
「……え?」
「ここ、混浴だろ?だから俺も覚悟して来たんだ。……だからさえよければ一緒に入るか?」
言ってみると恥ずかしくなって俺は頬を掻きながら彼女の表情を伺った。
目を丸くしていたがいつも通りのが俺にふわっと微笑んだ。
……くっ、今日も可愛いな。……我慢しろよ、俺。
「俺はこれを元に戻してから行くから、先に体洗って湯船に浸かってな」
「手伝おうか?」
「大丈夫だよ。俺がやったことだし、それにお前に風邪を引かせたら余計にゴロウ……とジャックに怒られるからな」
小言三昧になる光景が目に浮かぶと俺はに風呂桶をひとつ手渡して心配そうな彼女をそのまま見送った。
……あっぶね。本当に危なかった。
抱き込んだ時のの肌の感触を思い出して思わず頬が熱くなる。
……平常心。……平常心だバーツ。
俺は腰に巻いたタオルの隠れた先を見据えて心の中で呟くと、崩れたままの桶に手を掛けた。
ようやく最後のひとつを積み上げた俺は満足そうに頷くと、自分用に置いておいた風呂桶を手に取り、洗い場まで向かった。
湯船と洗い場の間辺りまで来ると、体を洗い終わったのかと会った。
ぴったりと張り付いたバスタオルは白いだけで体のラインが……って馬鹿!俺は何を考えてるんだ……っ!
頭の中で自分自身を殴りつけると俺は彼女に笑いかけた。
「洗い終わったのか?」
「うん。バーツも直し終わったんだね、お疲れ様!……そうだ!」
「……お?」
俺の右手をが掴み、くいくいと軽く引く。
「頑張ったバーツの背中、流してあげる!」
「………っ」
そんな眩しい笑顔向けられたら、余裕が無くても断れないじゃないか…っ。
おとなしく手を引かれるままに足を動かす。
濡れた床にひたひたと二人分の足音が響く。
またが転ばないだろうかと前を歩く彼女の背を見ていれば不思議と心は落ち着いていった。
洗い場に置かれた椅子に座ると桶に湯をためてざばぁと体に勢いよく掛け流す。
求めていたものにやっとありつけて、溜まらず息を吐く。
俺の後ろではごしごしと濡れたタオルに石鹸を擦りつけて泡立てている。
できあがった泡まみれのタオルを満足そうに見ると「洗うね」と俺に声を掛けてあたたかいタオルを背中に当てた。
「痛くない?大丈夫?」
「ああ、ちょうどいいよ」
「それならよかった!……やっぱりバーツの背中は広いねぇ」
「まぁ、男だからな」
ごしごしと俺の背中を泡立てながらそう言うに俺は気持ちよさに目を閉じて答える。
「ふふ、なんていうか畑仕事頑張ってるんだなって。……格好良い背中だなって思わず見惚れちゃった」
「……みっ」
そんな可愛いこと急に言うなよ……っ。心臓に悪い……っ。
顔が熱くなるのを感じて俺は見られまいと思わず俯くのだが。
……ちょ、待て!十代じゃあるまいし褒められただけで反応するな!!!
巻いたタオルの下の違和感とタオル越しのの手の感触が気になりだすと、本格的に赤面して俺の脳内は焦り始めた。
……平常心、平常心だっ。
「……そ、そういや男湯と女湯が故障って書いてあったけど!……何があったんだろうな!?」
慌てて話題を変えたがは気にすることもなく俺の疑問に答えてくれた。
「女湯のほうはくしゃみをしたビッキーちゃんが召喚魔法でいろんな物を上から降らせちゃって床がボロボロになっちゃったみたい。
男湯のほうはフッチ君とフランツさんが相棒を……ね」
「……なるほどな。ゴロウは災難だったな、それ」
どちらも想像が簡単にでき、聞いておいてなんだが俺は遠い目をした。
……じゃあ今頃あいつは床材のことで頭がいっぱいなんだろうな。
帰ってきたら飯でも奢ってやるか……。
「ね!しかも両方とも昨夜に起きたことらしいよ」
「昨日?両方とも!?……全然気付かなかったわ」
「バーツの部屋はここから遠いからしょうがないよ」
「……あれ?は昨日から外に出掛けてたよな?……耳が早いな!」
感心したように俺はそう言うと、ざぱぁっと背中が湯で流された。
お湯を再び桶にためながら彼女は困ったように笑っていた。
「今朝帰ってきた時にちょうどヒューゴたちと出掛けるゴロウから聞いたんだよ」
「ゴロウと会ったのか」
「うん。珍しくーって泣きつかれた時は何事かと思ってびっくりしたけどね」
しばらくぎゅってして頭撫でたりしてたんだけど、ゴロウのショックは計り知れなかっただろうなぁと呟くの言葉に俺の思考は一瞬ぴたりと止まった。
ゴロウが、に抱きついて……。
いや、俺もジャックもやってるじゃないか……。
はゴロウを抱き締めて頭を撫でて慰めた……?
あれなんだこれ、なんで今になってこんなもやもやしてるんだ俺……?
「よし、これで最後っと」
背中に掛けられるお湯のあたたかさと床に流れていく音で俺は我に返る。
俺の背中に流し忘れが無いかとの指が滑っていく。
「気持ちよかった。ありがとうな!」
「ふふ、じゃああっちで待ってるね!」
「ゆっくりな!転ぶなよー?」
洗い場の壁での姿が見えなくなると、俺は彼女には聞こえないように小さく溜息を吐いた。
もやもやとしている頭に思いっきり湯を掛けて手に取ったシャンプーでわしゃわしゃと髪を掻き乱した。
……俺、もう余裕無いんだな。……誰にも渡したくないんだ。
「お待たせ」
湯煙の中にあるの後ろ姿に声を掛けると、彼女は嬉しそうに微笑んで自分の隣へと手招いた。
つま先を湯に潜らせるとほどよいあたたかさに体が早くと俺を焦らせる。
ゆっくりと肩まで浸かるとざばぁっと気持ちのよい音が俺を包み込んだ。
「はー、生き返るなー」
「ふふ、バーツったらジョーカーさんみたい」
「俺まだそんな歳食ってないぞ!それよりも……」
の後頭部に左手を添えてこつんと自分の額を彼女の額にくっつける。
驚いただろう彼女が固まっているのが触れたところだけでもよくわかった。
「……のぼせてないか?」
待たせちゃったしと言えば、彼女はぶんぶんと勢いよく首を横に振るものだから俺は笑いを零してしまった。
そんな俺を困惑したような顔で見つめているに悪い悪いと言いつつ、今度は彼女の頬に両手を添える。
「、顔真っ赤」
そう言ってにこっと俺が笑うと、はそれはもうおろおろとしながらさらに顔を真っ赤にさせた。
俺の両手を振り払わないに、俺は彼女が愛らしくてたまらなくなった。
「バーツが意地悪する…っ」
「……好きな子には意地悪したくなるだろ?」
「そうとはいうけど……ん?好きな?」
「ん。好きな子だよ、……俺の」
何が起こったのかわからないというように目をぱちぱちと瞬かせて俺を見るに俺は困ったように笑った。
そして彼女の頬に添えていた両の手を離すとゆっくりと自身の腕で彼女を閉じ込めた。
お湯の流れる音と湖の音だけが二人を包み込む。
「俺は一人の女性としてのことが大好きだよ。……イクセの村で声を掛けてもらった時からずっと…ずっと好きだった」
愛しくてたまらないんだとぎゅっと抱き締めれば、彼女の体からふっと力が抜けた。
代わりに俺の背中にひたりとの腕がまわるのを感じて俺は一瞬目を丸くしたが、すぐに目を閉じて彼女の言葉を待った。
誰かを好きになるなんて今まで無かったから、きっとどんな答えが返ってきても俺は彼女を諦めることはないんだろうけどな。
……それだけ本気だってわかってるから。
優しい彼女だ。困らせてしまっているのだろう。
なかなか言葉を出せずにいるの頭をごめんなと俺はぽんぽんと撫でた。
「……バーツ」
「……ん?」
「……嬉しい。私もずっと好きだったから……っ!」
顔を上げた彼女は涙を伝わせながら嬉しそうに微笑んだ。
……ああ、もう。嫉妬してた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「」
左腕はの背に回したまま、右手は彼女の顎に添えてほんの少しだけ上に向かせると俺はゆっくりと口付けた。
初めて距離が無くなり得た感触に味わうように角度を変えて何度もキスを送る。
理性が切れてしまう前にと名残惜しくも顔を離すと、頬を赤く染めながらもがふにゃっと微笑んだ。
「誰にも渡さないから覚悟しろよ?」
「うん」
絶対だよと幸せそうに微笑む彼女の涙を指で拭うと、俺は彼女の額にちゅっと口付けてああと短く返事をした。
体を離して互いに湖のほうへ体を向ける。
吹き抜ける風が心地よい。
薄暗かったはずの空もいつの間にか晴れているようだった。
雲の隙間から光が洩れてきらきらとお湯を照らしていた。
「のぼせてないか?……長湯させたしもう出るか?」
「もう少しだけ」
こつんとの頭が俺の肩にもたれて、俺も目を閉じた。
「……ん。……ゴロウが帰ってきたらさ、酒場に行こうか」
「お風呂壊れちゃった慰安会?」
「それもあるけど、俺とを結びつけてくれてありがとう会が本音かな?」
本音は心の中で開催して、ちゃんと慰安会をするよと言えば、当然だよっと彼女はまた可愛らしく頬を染めた。
「ああ、もう……俺の彼女可愛いーっ!!!」
「………!!」
この人を守るために俺はこの先も剣の腕や力をつけていくのだろう。
何があっても絶対に離さないからな。
かけがえのない大事な君に俺は再び口付けを送った。
<あとがき>
俺の風呂で何してくれてんだ。
混浴風呂は十二小隊の一部の男性陣が巧みに交渉して作らせたのでしょう。