図書館から出ると、分厚く積み重ねられた暗いねずみ色の雲が頭上一面に広がっていた。
空気も水分を含みだしてどこか肌寒くなっていた。
雨が繋いだ時間
窓際の席で本に夢中になっていただが、窓から差し込んでいたはずの光が無くなったのに気付いて慌てて外に出てきた。
扉を静かに閉めて真上に広がる空を見れば、今にも降り出しそうなくらい分厚い雲が敷き詰められているのが見えた。
「急に暗くなってきたと思ったら……部屋に戻るか」
非番で本を読みに来ていてほんの数時間。
時刻はまだ昼半ばくらいだろうが雨が降り出してしまっては仕方がない。
傘など持ち合わせていないし自室のある建物までは少し距離がある。
ましてやこの気温だ。降られてしまったらきっと風邪を引いてしまうだろう。
ひとつ息を吐くと扉から離れて石畳にブーツの音を奏でる。
ここに来た時と打って変わった静寂が私の足音だけを拾い込んだ。
「………?」
歩いていると近くの木に人の気配を感じて私は足を止めた。
真っ黒な羽織り物とそれに付属しているフードを深々と被った人の背が木の幹にもたれているのが視界に映る。
「……クライブさん?」
全身が暗闇に溶け込めるような真っ黒な服装でありながらも光のように綺麗な金色の髪。
彼は解放戦争の時に共に戦った仲間であったが口数は少なく人を寄せ付けようとしなかったこともあり、近付くことも話すこともあまりなかったのだが。
触れられる距離にいるのは一緒に戦っていた時くらいだったなぁ…。
初めて見る彼の寝顔に小さく胸が高鳴るのを感じる。
閉じられた瞳、固く結ばれた口。
金色の髪が冷たく吹く風にさらさらと揺れた。
……こんなに無防備に眠るなんて。遠征続きだったみたいだし疲れが溜まってたのかな。
疲れているのならなおさらこの天候に冷たい風で風邪を引いてしまうかもしれない。
意を決して恐る恐る彼の肩に手を伸ばしてみる。
震える指先はちょんと彼の肩に辿り着き、後戻りはできないと頭の中に訴えかけた。
手の平全体で彼の熱を感じると、ぽんぽんと軽くゆっくりと彼の肩を叩いた。
「クライブさん、起きてください!」
ゆっくりと閉じられていた瞳が現れて私を捉える。
いつも通りの無表情なクライブさんの瞳の奥にはおろおろと困ったような表情の私が映り込んでいた。
「……何だ?」
「……雨が、降りそうだったので。風邪を引くといけ……」
私の言葉はぽつりと降り落ちてきた数滴の雨音によって遮られてしまった。
すぐ近くの石畳が雨音を響かせる。
その音はほんの数秒で大きくなっていった。
「降ってきちゃった……」
走っていけば少しくらい服はなんとかなるだろう。
……仕方ない。部屋に戻ったら着替えてお風呂に行こう。
木の葉の隙間からぽつりとわずかな雨粒が上を見上げていた私の頬に当たって落ちていく。
濡れてしまった頬を拭おうと腕を動かそうとしたが、彼の指が私よりも先に私の頬をぐいと拭ったので思わず動きを止めてしまった。
彼は驚いて目を瞬かせている私には目もくれずに今度はそのまま私の体を自分のマントの中に引き込んだ。
視界を遮らないようにと私の頭の高さくらいまで腕を上げて張られたマントで降り落ちてくる雫を遮ると、彼は「行くぞ」と歩き出した。
言わずとも私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるクライブさんの横顔を見てなんだか心がじんわりとあったかくなった。
「……何だ?」
「……クライブさんって優しい人なんだなって。解放戦争の時は話す機会もあまりなかったので、こうして一緒にいられるのがなんだか嬉しくなっちゃいました」
「………」
じいっと見つめるクライブさんに困ったように笑うと再び雨音と足音だけが私たちの耳に流れ始めた。
数分歩くと酒場の前まで辿り着き、クライブさんによって扉の前へと押し込まれた。
ほんの少しだけ突き出た天井が雨を遮る。
クライブさんも私の隣に立つと被っていたフードを脱ぎ、留め具を手際よく外してマントを取り払った。
露わになった光みたいな金色の髪に鍛えられた筋肉質な腕。
マントや顔についた水気を払う姿に見惚れてしまい、思わず緩む口元を押さえた。
「……濡れてはいないか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました!」
「……そうか。なら、……時間はあるか?」
「……え?……あ、……はいっ!」
「………ふっ」
クライブさんからそんな言葉が聞けるとは思わなかったために思いっきり取り乱すと、ずっと無表情だった彼の口元が弧を描いた。
「興味が沸いた。……今からでも話すのには遅くないだろう」
「……あ、ありがとうございますっ」
「……ふっ。……、行くぞ」
「………!!」
そう言うと扉を開けて私の背を優しく押した。
……名前、覚えていてくれたんだ。
酒場の賑やかさな空間に圧倒されながら、すぐ後ろから聞こえる声に私の口元も弧を描いた。
「ホットミルクを二つ頼む」
<あとがき>
木陰でお昼寝していたクライブさんは近付いてくる主人公の気配に気付いて起きましたが、
解放戦争の時から実は気になっていたが自身の事情と忙しなさによって関わることが叶わなかったこともあり、
狸寝入りで彼女が起こしてくれるのを待っていました。