これは俺とさんが初めて会話をした日の話だ。
今でも、この日のことは鮮明に覚えている。



柔らかな時間に距離を得た日



この世界に仲間たちとともに降り立ち、この軍に加わってから数日が経った頃だ。
生きている母さんや父さん、それにクロム叔父さん。
そして彼らの仲間たちを目の前にして俺は嬉しくて仕方のない日々を過ごしていた。
けれど、あの惨劇の世界のことは俺の中に深く根を張っていた。
幾度となく、迫りくる惨劇の光景を思い出しては、笑い合いながら作業をする彼らを見るたびに想像してしまう。
この笑顔が、この人たちが消えてしまうその瞬間を。

「………っ」

今日もまた彼らを見ては心の奥が重くなるような感じがし、作業を中断して木陰で休憩をとっていた。
しかし、一向に俺の頭は落ち着いてくれなかった。
逃げ込むように目を閉じて俯いていると横から声が掛かった。

「……ウードさん?どうしたんですか?」
「え……?」

慌てて顔を上げて声のほうへ振り向くと、籠を携えた女の人が心配そうな表情で俺を見ていた。
この人は……えっと、確か……さん、だったっけ?
以前、クロム叔父さんや母さんたちが異世界から召喚されてきた人なのだと紹介してくれた。

「……っと、なんでもないですよ。ちょっと作業に疲れちゃいまして!」

何事もなかったかのようにへらっと笑ってみせるとさんの表情が少し曇った。
さんの目が俺の心を見通すようにじぃっと見つめるので俺はうっと視線を外してしまう。

「……嘘ですね?私には全然大丈夫そうには見えないですよ?」

どきりとした。
けれど、俺の口は誰も俺なんかのことで負担を掛けさせたくないと言葉を発した。

「はは、本当になんでもないですよー。でも、心配してくれてありがとうございます!」
「……ウードさん」

困ったように呟いたさんはそれ以上踏み込むことをやめたのか、そうだと持っていた籠から何かを取り出して俺に差し出した。

「さっき焼いたんです。よかったら一緒に食べませんか?」

さきほどとは違い、ふわりと笑ったさんとその手に持たれた甘い香りの焼き菓子に誘われるまま俺は素直に頷いた。
よかったと嬉しそうに彼女は俺の隣へ座りこんだところでしまったと思ったが、彼女が話し始めたのは戦争や軍のこと以外の話だった。
俺の仲間たち以外とこの世界でこうやって誰かと話すのは初めてなんだよな……。
神話の世界を渡り歩いてきたというこの人は俺と同じくらいの歳で、雰囲気だって柔らかな感じで……俺たちとなんら変わりない。

「ウードさん?」

見過ぎたのか不思議そうな顔で俺を見るさんになんでもないですと慌てて微笑んだ。

「……その、さん。ウードでいいですよ」
「え……っ。じゃ、じゃあウードさんも……」
「い、いいんですか!?……あ」

母さんたちとさんは仲間であり、友達とも呼べるような存在だ。
いくら歳が近いからといって……さすがにまずいか。

「俺は……その、このままで……」

ぽりぽりと頬を掻くと彼女は俺の言いたいことがわかったのか残念そうに笑った。
しばらく話していくうちに話し方も崩れ、俺自身もさきほどまでの悲しい気持ちも忘れて笑っていた。



「……美味い!俺、甘い物なんて久しぶりですよ!」



さんがくれたお菓子は本当に美味しかった。
俺のいた世界ではこういったものを食べることなど叶わなかったし、こんなに笑うことだってできなかった。

「ルキナたちにも食わせてやりたいです」

無意識に呟いた言葉に俺ははっとした。
ああ、せっかく楽しかったのに……。
あの惨劇の世界での過酷さが再び頭の中で巡り出す。
さんを見ると心配そうに俺を見ていた。

「……もしよかったら話してくれないかな?」
「え、俺は大丈夫……」
「……そんな顔、放っておけないよ。
……ほら、その……イレギュラーな私なら話せることもあるかなって思うんだけど。……どうかな?」

あまりにも真剣な眼差しで、俺はうっと声を詰まらせる。
こんなことを言ってどうなるというわけでもない。
ただ、自分の不安を口にしてこの人を困らせてしまうだけなのに……。
そう思いつつも俺の口は今度は素直にゆっくりと自分のいた絶望の世界の話を紡ぎ始めた。
両親が自分を庇って亡くなってしまったこと。
非力だった自分が許せなかったこと。
それから辛い絶望の世界を仲間たちと必死に生き抜いてきたこと。
そして、この世界へ来て両親と仲間たちと出会い、嬉しさの反面、
その命がまた失われてしまうのではないかと自分のいた未来の世界を思い出すたびに想像してしまうのだということ。
今までに感じていたこと全てをぶつけるように隣にいる彼女に話した。
さんはやはり辛そうな顔をし、最後まで頷きながら俺の話を静かに聞いていた。



「…それで、時々そんなに悲しそうな顔をしていたんだね……」

小さく呟かれた言葉。
その後にさんの手がすっと俺の頬へと伸ばされた。

「……さん?」
「生きていてくれてありがとう」
「………!!!」
「過酷な環境下で、生きるのも辛い状況で……それでも生き抜いてくれてありがとう」

そう言うとさんの手が俺の頬から離れた。

「ここにはクロムさんたちもそしてウードたちもいるし、なにより運命を変えるという意思がある。
それに、完全にイレギュラーな私もいる」

さんがふわりと微笑む。

「だから……もう、大丈夫だよ」
「………っ」

彼女の言葉を聞いた瞬間、目頭が熱くなるのを感じて俺は片手で自分の両目を覆った。
光を遮った暗闇の中で慌てたような声が小さく聞こえたかと思えば体にあたたかさが増した。

「……話してくれてありがとう。もしね、また辛くなったらさ……私でよければいつでも力になるからね」

ぎゅっと俺の体を包み込んださんの体が離れようとする。
俺はとっさに彼女を引き寄せるとその肩に額を軽く当てた。

「ありがとう、ございます……っ」

優しくあたたかな手の平が俺の頭をゆっくりと撫でた。
母さんや父さんとはまた違う心地良さに俺は目を閉じた。



「……すみません。けど、おかげですっきりしました!」

ようやく落ち着いてきた俺はゆっくりと体を離した。
今自分がしていたことを思い出すと、なんだか恥ずかしくなり体が熱くなってきた。
思えば、母さんたち親世代の人だからとはいえ、俺と歳は同じくらいの女性に抱き着いていたのだ。
ちらりとさんを見てみれば、彼女はとても嬉しそうにこちらを見ていた。
かと思えば、俺に向かってさきほどくれた焼き菓子をその指に挟み、差し出した。

「あーん」
「あ、あーん……」

つられて口元に差し出されたそれをぱくりと食べると彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「戦いの中で生き抜くからこそ、たまにでもいいから楽しい思い出を作っていっぱい笑い合おうね!」

いつまたあの運命へと引きずられるのか、緊張感が完全に解けることは無い。
けれど。

「……はい!」

この人の傍にいると不思議と安心できる気がした。
人柄なのか、それとも神話の世界を生き抜いてきた人だからなのか。
久しく感じていなかった感覚に俺はそう返事をした。

さん!もう少し食べても大丈夫ですか?」
「あ、うん!いっぱいあるから好きなだけ食べていいよー」
「やった!じゃあ遠慮なく……」
「え……!?そ、そんなに手に取って……っ」
「これ、すごく美味いんですもん!……取りすぎでしたか?」
「ううん、気に入ってくれて嬉しいよ」



ねえ、さん。
俺、ちゃんと覚えていますから。
ずっとあなたのことを想っていますから。
どうか……。
また、あなたに会えますように


<あとがき>
 ウードと主人公が初めて話した日のお話。
 今はひとときの…の後でウードが消えた主人公を想い続けながら思い出しています。